共生社会の理想の理念と概念
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素敵美し綺麗素晴らし理念です。これらに目を通して思考の端に置いておくことはおすすめです。
だって、社会の決まり事ですもの。
決まり事としての障害者の人権
個人的な問題であるとされた障害。訓練やリハビリで個人で乗り越えるべきものとされていたもの。
それを現在は、社会の問題であり、社会が作り出している障害によって隔てられているのどと、社会が努力しその障害を取り除かなければならないし、共存するのがあるべき姿である、とされた。
障害者への差別的行為は禁止された。行政も事業者も、障害を理由に不当な差別的扱いをしてなならない。合理的な配慮をしなければならなくなった。
障害者への虐待を防止するため、家族にも支援する。
障害のあるひとがあらゆる分野の活動に参加することができるよう、障害者が情報を得るため、意思疎通を図るための施策をする。
差別的扱いとされること
障害があるというだけで、障害の種類や程度等について考慮せず、漠然とした安全上の問題のみを理由に施設利用を断ること。
障害があるというだけで、言葉遣いや接客の態度などの接遇の質を一律に下げること。
障害があることを理由に、サービスの提供を拒否してはいけない。
サービスの提供に当たって、場所や時間帯などを制限しない。
障害のないひとには付けない条件を付けるのは不当な差別である。
正当な理由とされるのは、客観的に見て正当な目的と認められ、都度目的に照らしてやむを得ないと言える場合。具体的場面や状況に応じて総合的かつ客観的に判断する。
合理的配慮としてすべきこと
車椅子利用者のための段差に携帯スロープを渡す。
聴覚に障害のある人に筆談で対応する。
障害の特性に応じた休憩時間の調整など、柔軟なルール変更を行う。
何らかの障壁に対し、障害のあるひとに求められた障害になるものの除去は、できる限り除去する。
負担が重いからと合理的配慮の提供をしないというのは認められない。過重でないと思える、負担でないと思える方法を障害のある本人と話し合い検討するべきである。合理的配慮の提供に、勝手な判断をしてもいけないし、障害のある本人の意向をとにかく尊重することが重要とされる。
違反とされた例
遊園地で知的障害を理由にアトラクションへの搭乗の拒否ことを拒否した。
→個別に判断すべきこと。利用者の特性と状態を考慮し、
安全性が保たれるかもその個人に対して考えるべき。結果、乗れた。
スポーツクラブで精神障害を理由に入会申し込みを拒否した。
→受け入れ体制が整っていないため一律に拒否していたのを見直し、
個人個人で都度入会の判断とすることに変えることに。結果、入会ができたかは不明。
工場見学で車いす利用を理由に他の児童と同様の見学を認めない。
→一律の対応ではなく、保護者等と直接話し、その児童の身体の状態をしっかり把握した上で、工場見学参加の可否について再検討すべき。結果、他の児童との同様に可能だと見学できた。
共生社会について
共生社会とは、障害の有無にかかわらず、女性も男性も、高齢者も若者も、全ての人がお互いの人権や尊厳を大切にし、支え合い、誰もが生き生きとした人生を享受することのできる社会のこと。その社会を実現するために、存在する様々な障壁を取り除かなければならない。
物理的な壁 = 越えることが困難な段差等
制度的な壁 = 多様性を考慮しない制度やルール等
文化・情報の壁 = 音声や点字、手話や字幕といったものが必要なひとへの案内がない等
心理的な壁 = 差別や無関心など他人を受け入れない等
障害のあるひとが人権を享有するには、いろんな社会的障壁を取り除くことが必要。その責任は社会自体にある。行政と民間事業、社会を構成するひとりひとりが、そのことを理解し、具体的な行動を求められている。
心のバリアフリーという言葉。だれもが社会の中で自由に考えて自由に行動できる「人権」を大切に、多様性を尊重する仕組みが整った社会。個人が障害者に対してできることを考えたり、困っている障害者へ声掛けするなど、社会全体みんなで作り上げるもの。
障害者が感じたり周囲が見た差別的行為の例
- 職場、学校などでのいやがらせ、いじめ
- じろじろ見る、避ける
- 差別的な言葉を言われる
- 就職・職場で不当な扱いを受ける
- 交際や結婚を反対される
- スポーツ・文化活動・地域活動に気軽に参加できない
- 宿泊施設や公共交通機関の利用、店舗などへの入店を拒否
- アパートなどへの入居拒否
- 悪徳商法の被害が多い
鏡のように
障害者は健常者のことを、健常者は障害者のことを、理解できないのは当たり前だ。
自分と違う者のことは、知識としては得ることは可能でも、感情などは想像するしかない。
だからこそ、社会全体で取り組むべきとしている。
もちろんそこには、障害者も含まれていて当然だ。
障害者にとってのの障壁を当たり前に取り除こうと言う姿勢を社会がとるのなら、障害者はそうするのが当たり前だという姿勢で感謝をしよう。
そして、障害者も、健常者の気持ちを理解しよう。
知らないから、見るし、聞く。それはあなたを理解してもらえるチャンスだ。
困ったことがあって、自分にどうすることも出来ないなら、手伝いを頼もう。
助けてくれるひとばかりではない。けれど、助けてくれないひとばかりでもない。
健常者であっても、理解されないことはある。
だから、すべての人に理解を得ようなんて、だれにも成しえない。
全ての人が理解してくれなければ、生きていけない、なんてこともない。
共生社会の、そこには、いろんな人がいる。
いろんな主義、理想のもとに生きるひとたちがいる。
ひとを思いやる事ができない人は、ひとに思いやられることも難しくなる。
ひとの意見をきけないひとの意見は、聞いてもらうことも難しくなる。
ひとのことを認められないひとを、認めたいと思う人は少ない。
そして、それは反対も然り。
思いやりがあるひとを思いやりたいし、ひとの言葉を聞いてくれるひとの意見は聞きたいし、自分を認めてくれる人のことは自分も認めるひとだろう。
「心は鏡」とはよく言ったものだと思う。本当にその通り。
さて、鏡をのぞいてみてはいかがかな?