ハココの森を作るにあたって
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ハココは現在37歳の女、無職。「解離性障害」「PTSD」「発達障害グレーゾーン」で精神科に通院中です。精神障害手帳2級で、障害年金も受給させていただいてます。
現在はそれなりに落ち着いて生活をしていますが、燃料切れになりやすく、そうなると、数日寝たきりになってしまうこともあり、毎日をちゃんとこなすこともまだ難しい状態です。
母と同居していて、母の助けがあるから、人間らしい生活をしていられるのだと、感謝しています。
ハココの生きてきた道は、なんだかんだ、その奇妙なものです。
家族のことで家族が壊れ、ハココもなかなか壊れようで、そのハココは祖父を憎んだり、父を嫌悪したり、そのあと極端な考え方になってしまったり。
精神科への入退院を繰り返し、自分を傷つけて、おかしな事件に巻き込まれ(首を突っ込んだ)たり。
そこから生還したけれど最悪な精神状態になっていての保護入院。退院しても、生きているなんてとても言えなかった。
一念発起で病院を変え、自分にとって合っている病院に出会い、そこでもなんだかんだありましての、いま現在たくさんのことにわたしは感謝し生きることができています。
わたしは、いま自分が生きていると感じます。生きていることが素晴らしいと思えていて、自分のことが割と好きです。
母が、姉が、姉の現在の家族が、父が、叔父が、そして、人生で初めて憎いと思った祖父のことすら、好きであると思えます。
そうなるまでに、ハココは心に変調をきたすまでにかかった時間より、多くの時間を要しました。
長かったな、と思います。わたしが長いと感じるのですから、きっと壊れたわたしを間近で見ていた母と姉には、もっと長く感じただろうと思います。
ハココは、見捨てられたって仕方なかったんじゃないか、と思います。目の前にあんな(ハココのような)壊れた家族がいる、他の家族はきっとみんな本当に苦しいなんてものじゃない。壊れたわたしは、自分勝手に消えたがり泣き暮れつらいつらいと、一つ覚えに唱えていて、母がハココを見張り、姉は高校を出たあと就職して働いて、大黒柱にすらなっていて。
母や姉はわたしを恨んでいるのではないか、そう考えるに至ったのは、去年のこと。そうです。遅いです。とっても遅いのです。でも、間に合ったと思いたい。
あの頃のことを謝りたいとは思っても、姉はいまも優しいし、かっこいい。姉にもいろいろあったけれど、現在は結婚し、二女をもうけ、かわいい盛りの姪たちは、わたしに懐いてくれて。けれど、あまりにもわたしが彼女たちにしてあげられることはなく、愕然としています。
ハココがはじめてブログを書いたのは、十代のときであったと思います。ネット創世記の頃からそれらが身近にあったことで、なじみ深く、いつかはホームページを持ちたいな、と思っていたので、簡単に日記を公開できるブログの存在を知れば、はじめたくなるのも自然だったように思います。
ハココは、文章を書くことが大好きで、それは自分の精神衛生へとつながりました。考えることが好きだからと、色んな事柄を考え続けてきました。攻撃的のもとれる文章で、いろいろ書きました。
場所や名前を何度も変えたりしながら続けたブログ、そのときそのときの自分を表現してきたもの。実は、今年の前半までやっていたものがあって、でも自分が落ち着いてきたことから、辛い辛いと書き続けていただけのブログには、もう書く事柄がないように感じて、終わりにしたのです。
けれど、今回、真面目に、ちゃんとブログというものを書いてみよう、そうと思いました。自分のためだけのもの、自己満足だったものとは違う、誰かに読んでもらうためのものを。
そう思ったきっかけは、読書が趣味だけど、名著というものにはほとんど触れてこなかったわたしが、気まぐれに読んでみようかなと手にした『夜と霧 / ヴィクトール・E・フランクル』でした。
感銘を受けたとというより、多いなる共感がありました。わたしが読んだのは新版で、やわらかく読みやすい文体だったのかなあ、とすらすら読めたことに驚きもありつつ。実は、古めかしい言葉遣いを読むのが少し苦手でして(名著をさけていたのは、恥ずかしながら文体が苦手だということで)。
まあとにかく『夜と霧』に触発された、などというのはなかなかおこがましい限りですが、わたしも誰かのために何かを発信してみよう、と思ったのです。
わたしは、心理学者でもなく、心理学を勉強したこともなく、精神医学もよく分からないし、心っていうか脳の病気だろうし、そもそも電気信号が……とか。まあ、いろんなことを聞きかじっただけの知識しかないくせに、精神だ、心だの病気というとらえ方はなんか違和感が……とかなんとか言ってみたり。
『夜と霧』を読んでみて、その心理学的見地からの内容に「ん? いや、みんなそれくらい知ってるよね?」って思ったとかいう、生意気すぎる感想を一時持ってしまった、なんていやはや恥ずかしい。もっともっと考えて、見解を深くしなければ……とすぐさま反省しましたが。
でも、極限の状態から生還すること、それらを語ることで、その心理が何かの役に立つ、ということ。わたしの体験も、まあ大したことじゃないけれど、なんらかの有益なものも含んでいるんじゃないか? と、勘違いしましたゆえに「ブログやるぞお!」って、意気込んでしまったのであります。
ハココが、どうして心を壊してしまい、精神科とどう付き合い、どんなことを考え、どんな経験をどう受け止め、生きてきて、現在はどう考え、なにを得たと感じ、なにをあきらめ、なにに後悔して、なぜいま生きているのか。これからどうなりたいのか。
それらをここに記したいと思っています。
なにより、家族に、感謝を伝えたいから、そのためにも記していきたいのです。
そして、自分というものへの内省やらを深めていこう、と。
誰かにとって、少しでも有益な情報になれたら、無職で、何の役にも立っていないこのハココという存在が、ほんの少しマシになるのかなあと。
暗闇の中の人へ、声を届けるのはとても難しいことです。身をもって知っています。だって、あの頃の少女だったハココの心に届いた声などなかったから。
生きる意味を無くしたときに読んでほしい一冊。誰かが『夜と霧』をそう言っていました。
けれど、それがいかに現実的でないかも知っています。
そんなときに、本を読む力なんて残っていないのですから。
それでも、少し余裕が生まれたときには、確かに読んでみたらいいかもしれないな、と思います。
ハココの言葉は誰にも届くことはないかもしれない。でも、届かなくたっていいのです。こういう考え方もある、と視界の片隅にちらっと写るだけでも。それで充分です。
ちなみに、いつか広告での収益化を考えての運営でもあります。ハココは、資格なし、職歴なし、バイトすらしたこともない、体力もない、しかももうすぐ四十が見えてます。
ですが、実際、事実として、普通に働く体力だけでなく、能力、スキルとしても問題があるとひしひし感じます。それでいて、どうにか稼ぐことを考えるなら、これくらいしかないなあ、というものです。
収益のためのブログ運営。とは言いましても、そうなれるかどうかもまだ分からない状態で、まあ、趣味と実益やらなんやら兼ねられたらいいなあ、くらいです。
どうぞ、よろしくお願いします。
2023年7月12日 ハココ