空想をすすめる理由
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ハココは空想することが大好きです。物心ついた頃から、いつも何か、不思議な世界の物語のようなものを空想していました。小さな小さなお話。妖精のこと。夢見がちな女の子だったのかもしれなくて、たぶん、周囲もなんか変な子だなあ、変わった子だなあって、思ったりしたかもなあ、とは感じます。
え? それは全然よくないよね? と思われた方、それは、その、まあ、そうなんですけれども。
でも、良いことがちゃんとありますから!
空想することのおすすめ素敵ポイント
- もののすごく自由だから
- とにかく楽しいから
- どこでもできるし、道具もいらない
- 知識への欲求のもと、学ぶ意欲になる
- いろんな考え方が必要になる
- 言語化の練習、会話の練習になる
- 感情の理解につながる
- まったくの個人の能力しか反映されない個人主義の世界(努力を裏切らない)
- 行うことに許可、資格が要らない
- 秘密裏にどんな世界の構築も可能(脳内に)
- 発表するもしないも自由
- すべての経験や知識が無駄ではなく、必要な事柄となる
- いつか自分の宝物になるかもしれない
一番のおすすめポイントは、とにかく自由な世界ってところです。なんだって出来て、なんだって出来ない世界。空想の世界は当然現実ではなくて、自分の思い通りになる、自分の世界。自分次第の世界。なにもかもが自分だけのもので自分のためだけの世界。そこでは、自分が考えつかないことは起こらない。でも、たとえば全く自分と同じ世界は作れる。苦しさの加減も同じにしたり、むしろ、さらに嫌な世界にして、残酷な仕打ちばかりにしたり。
って、それのどこがいいの?って思われた方、それは、まあ、そうなんですけれども。そうなんですけどれも……それだから、良いのですよ。
空想の世界を広げるためには、たくさんの知識が必要になります。様々な種類の、様々な角度から見た知識が必要。知識だけじゃない。どんな経験も材料になる。楽しいこと、苦しいこと、うれしいこと、悲しいこと、辛いこと、辛すぎたこと、幸せなこと、不幸だったこと、希望を持ったこと、絶望したこと、どうでもいいこと、どれもこれもが空想の材料になる。経験に基づいた感情もそれは素晴らしい素材になる。悲し過ぎた体験ですら、経験基づいているものは、あなたにしかない材料になっていきます。
だからといって、どんどんつらい経験をしよう! なんていうつもりは、毛頭ないです。そんなことはしなくて良いし、する必要もないです。
ただ、その、自分が作る世界は、どんな小説を読む体験よりも、深い設定のもとに作られているのを知っていて、その世界に一番没入できるのは自分だということ。
そもそも、お話を考えることなんかが好きだったから、そんなことをしていたわけで、ハココだけの旅をしていたのです。ひとり旅も、仲間との旅も、恋人との旅も。気ままに、ときに使命を帯びて。
空想し創造する世界は、どこまでも広げらる。ただ、どこまで広げられるのかは、本当に自分だけが頼り。
空想を行うのに必要なのは、自分の脳と心、知識と感情。道具もいらない。場所も時間も選ばない。どこででもできて、いつでもできる。しかも、ときにそれをしていることを周囲に気づかれることもないままに行える。
秘密裏に、電車の中でも、授業中でも、横になりながらでも、空想の世界(素敵な世界も、卑屈な世界も、汚い世界も、エロい世界すらも)を旅することができるのだ。その世界は自分の中に無限と思えるほどに広がる。
そこにあるのは、圧倒的自由と個人主義。どこまで広がるのか、広げないのか、幸せなのか、辛くて辛くて、そればかりの世界なのか、どんなものも自分が作り上げていく。
ちなみに、ハココは悲しいことばかりの世界にすることが多いんだなあ……。
楽しい世界より馴染める気がするのよ……涙。
ハココは、空想をするためにと考えたら、学ぶことがとても楽しくなりました。どんな事柄も知りたいと思った。幸せで、きれいなことばかりでなく、不幸で、醜いことを知ってしまうことも「嫌だ」以外にも感じるようになれた。これもいつか使ってやる!みたいな(もちろんつらいその最中には思うことなど出来ませんが)。
それでも、悲しい体験も、辛い経験も、本当に辛すぎるってそれすらも、どれもを材料にするぞ!ってそう考えたととき、そこには自分しか作り得ない世界が広がった。
知識であれば、科学も、歴史も、美術も、音楽も、医学も、哲学も、宗教も、宇宙も、生命も、何でも知りたくなった。それらについて、他の人がどう考えるのかも知りたいし、肯定の意見も否定の意見も知らなくてはならず、それら踏まえて、どう自分が考えていくのかが最も重要になって。そして、その先でハココがどうするのかを、どういう答えを出すのかを知りたいと思った。
何もかも、すべての経験を材料に!って、小説家気取ってるの?
って、いや、そんなつもりは……。でも、要するにそんなような考え方です。
ハココはお話を考えるのが趣味だったもので……照。
もうひとつの、とーってもおすすめなポイント
そもそもの、言語化への練習にとても良いのですよう!
空想の世界で、会話することは、投げかける言葉も質問も返答も自分で考えるから、理想の会話もできる。けれど、自分が言われたくないことを延々と言われ続けることも出来る。何もかも理解されない状況に追い込むことも、良い誤解をされることも、悪い誤解をされることも、自分次第。自分の分身の主人公を仮定するなら、その主人公が現状をどう打開するのか、また何も出来ずに終わってしまうことも、空想をする自分次第。
会話には言語が必要になって、苦しい状況を打開するための言葉、相手を誘導するための言葉、
誉める言葉、貶す言葉、愛情を伝える、憎しみをぶつける、バレバレの言い訳を考えたり、気づかないふりをしたり。そのすべてを考えることになる。
もちろん、その状況と仮定し空想すれば、だけれども。
書くことをしなくとも、脳内で作り上げていくには、創造なのだけれど、ハココの場合、言語がどうしても必要になっていて。
考えるときって、想像したものが何であるかの、説明文みたいなものがついてきたりしませんか?
(もしかして、それってハココだけなのかな……? え……?)
いやでも、会話をしようとしたら、やっぱりそうであるし、イメージ(画像的な)だけで作り上げるって、かなりすごいと思う。それが何であるかを、どのようなもの、どんな色、どんな感触、それらを追求していくこと、事細かに想像していくこと、それは、自分を知り、自分について考え、それらを他人にも行う、そういうことにつながると思うのです。
それを、現実でやると、なんだかダメージを受けてしまう。だから、空想の世界で「練習す」るのです。「感じる」ことの練習、「言う」ことの練習、「聞く」ことの練習、「泣く」ことの練習、「笑う」ことの練習。
そして、「スルーする」ことの練習。
主人公は自分。もうひとりの自分。登場人物はみんな自分。
ハココは、彼らの(自分の)運命を握っているというより、その状況を共に体験し、成長していこう、そんな気持ちで見ていたと思う。
ハココは、主人公をいつもいつも過酷な状況に置いて、その空想で悲しくて、辛くて、本当に泣いてしまったり、そういう部分はひとりになれるときにやりました。自分で考えた状況で泣いているなんて、どんな変態ですか?と思いますが……(もしかしたら、自分であり他人である、その自分の解離具合が、なんかうまーく作用していたのかなあ、なんていまは思ったりします)。
いつも、物語性が重要なロールプレイングゲームをやっていたこともあって、その世界に没頭して、旅をしている気分でした。空想の世界で、自分が考えた世界の中で、酷いことを言われて、残酷な現実(空想だけれども)にリアルで泣いて、小さな幸せに、大きな喜びを感じて。
小説の世界に没入することが得意であった(ラノベとか挿絵があるときは、存在しない挿絵を見たことになっていて、読み終えて脳内にあるその挿絵、あの絵をもう一度見ようと本をめくるが、どこにも見つからない……なんてこともあった)から、出来たのかもしれないけれど、そうやって、その世界がまるで現実であるかのように空想の世界にいたのです。
ただ、ハココにとってそれらは、現実よりもはるかにリアルに感じていました。
ハココは空想を繰り返す中で、たくさんのことを考えてきて、そうして自分が持っている、この思考をする脳が好きになった。考えることができる、ただそれだけのことが、ハココにとって宝物になったのです。
でもまあ、誰もがそう考える訳ではないので、したくないならしなくても構わないどころか、してもしなくても、まったくもって構わない……どころではなくて、それこそハココが構う構わないなんてどうでもいいことでしかないので、なにをするのも脳内は自由。
ただ、ハココは空想によってたくさんのものを得られたから、してみるのも悪いことばかりではない、程度におすすめしたいと思って、この提案をしてみた次第なのであります。
初期投資すらもいらないのだし。なんて経済的のなかしら!!
でも、個人で責任をもって行うべきことではあります。本当に空想の世界の住人になってしまったら、元も子もないので。空想は空想。現実は現実。
でも、ときに逃げ場所にもなる世界で。現実がどうであろうと、その世界に逃げ込むことができれば、ほんの少し、ほんの少しだけ、気が休まったりする。思考ができている、それに安心出来たりもする。ある意味、ハココは精神状態の指標にもしていました。
これができないときが、本当に、ヤバいって。
まあ、用法容量を、自分の適量をよく考えて、行ってくださいな。
補足的なもの
ちなみに、ハココは、実はどうして解離するに至ったか、自分で分かっていません。
解離は、幼い頃ほど身に付けやすい、そして、もとよりそれが得意な子というのもいるとかなんとか云々にゃーにゃー。ハココは、ただ単に、解離傾向が生まれつき多い、そういう子だったとかのかなあ、なんて思ったりもして(自分の中のトラウマは中学以降で、それじゃそこまではならんのでは?と思うので)。まあ、いまはそれなりに暮らせているので、そんなの置いとくぞ!
事実、開けちゃいけないパンドラの箱指定された部分もありますし。置いとけ!!