女は嘘をつくとしたい男たち
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二次加害の典型であるかのような「事実かどうかは分からない」という言葉。
その奥にある「事実の否認」に被害者は大きく傷つく。
これを裏付ける事例として「草津」という武器をアンフェミは手にした。
さらにそこに連帯した『フラワーデモ』についても悪のイメージを固定化させた男性たちがいる。
彼らは口を揃えて「嘘をつく女のせいで本当の被害者も信用されないんだ」と言う。
本当にそうだろうか?
まず『草津』の件についての記事を張り付けて置く。
なぜ、ここまで問題が大きくなったのか
わたしは「社会の責任」があると思っている。
さらには「男尊女卑」であることだ。
もちろん、虚偽申告した女性の行いは最低である。
どんな理由があって相手を加害者に仕立てたのか、わたしは「草津」という町のために、この町長の名誉のために、草津のその後を、騒動が苛烈を極めていた時と同じように、これらは「誤認」でもなく「虚偽申告」であったとしっかりと報道してほしい。
虚偽申告でひとりの人間の人生を陥れることが如何に酷い行いであるのかを、しっかりと示すことで、この先の性被害者たちの被害の告白の信ぴょう性が上がるのではないかとすら思う。
わたしは性被害者として、虚偽申告で被害者を装う行為は許せない。
わたし自身のことも馬鹿にされたとすら感じる。
わたしが死ぬ思いで生きていることすら、馬鹿にされたと感じるのだ。
彼女が一体どんな理由で虚偽申告をしたのかわからないけれど、してもいない犯罪の加害者としてひとりの人を仕立て上げるなんてことをしていたとき、どんな気持ちだっただろうか。
(恐らく、ここまで大事になるとは思っていなかったのではないか、と予想するが)
しかし、連帯した団体が必死になるのは「当然」だった。自然なことだった。
わたし自身が性被害者であるから知っている。
性被害者の現実は常に厳しい状況だ。非情に晒され続けるのが当然であるかのように。
警察でも、司法の場でも、被害者であるのに「人権」が無いのではないかと錯覚する。
(実際にわたしは自分に人権があるとは感じられていない)
社会が性暴力/性犯罪を軽視してきたから、支援団体はここぞとばかりに大事にした。
社会が性暴力/性犯罪を軽視するままにあるから「こんなことも当然に起こり得る」というバイアスだって働く(現に他の市町村でもセクハラでやめる長がいる)。
性暴力/性犯罪を軽視する社会を変えたいから、大きな声で訴えなければならなくなる。
他責思考だと思うか?
社会のせいにしているか?
けれど、現に性暴力/性犯罪は軽視されて来たではないか。
今ですら、痴漢行為の影響で電車が遅れることの文句は《痴漢》にではなく《被害者》に言うではないか。
この状況は明らかにオカシイ。
なぜ、痴漢した加害者ではなく、痴漢された被害者が『我慢』しなかったことを責められなければならないのか。
性犯罪は唯一、被害者の落ち度をあら捜しして、それを加害者が加害する理由として仕方ないことであるとする犯罪だ。
たとえば、服装、時間帯、場所、普段の行い。
どこで何をしていたからと、加害者が加害して良い理由にはならない。
けれど「だから被害に遭ったんだ」と「加害されて然るべき」だったかのように、まるでそうしている人に対してなら『性加害する権利がある』かのように被害者の落ち度を責め立てる。
それによって被害者は疲弊していく。
ただでさえ、消耗しきって擦り切れた心身に負荷がかかり、ついには被害者が裁判に出廷できなくなった時、それを理由に加害者には『不起訴』が言い渡されたりする。
性暴力被害者は『PTSD』の発症率がかなりの高さを示す。
大震災で被災することや他の犯罪被害や事故よりもずっと高い。
それなのに「大袈裟だ」と言う人がいるのはなぜなのか。
ネット記事で『PTSD』について検索すれば「的確な治療を受ければ数年で回復する」なんて書いてあることもあるが、正直、予後は人それぞれである。
わたしは15年前の性被害での『PTSD』の診断を受けたが、症状は非常に重いと言われたままに、治療すらそこらの病院ではできない。
要は『PTSD』は『全治不明』である。
そんな(心的)外傷を負わせた加害者が大した罪にも問われないのが日本という国の司法で、そんな暴力/犯罪を軽視しているのが日本という社会だった。
だからこそ『草津』の冤罪事件は起きてしまったのではないか。
支援団体が過剰に被害者を守っていたように見えるかもしれない。
けれど、たとえば警察に被害を届け出るとする。
詳細に話せないと「信ぴょう性が無い」とされる。
理路整然と話したなら「そんなに詳しく話せるなんて信ぴょう性が無い」とされる。
届けなかったら「被害自体が無い」とされる。
被害者の証言は一体どうしたら信用されるのか。
性犯罪の歴史
ここで少し、性犯罪の歴史について、振り返ってみたい。
日本では1907年(明治40年)に刑法が制定され『強姦罪』という名称になった。
男性器により女子の抵抗を著しく困難な状態に追い込み女性器を姦淫した場合に限り強姦罪が適用されていたが、強姦罪の制定目的は女性の保護よりも血統の乱れや嫡出関係の崩壊を防ぐことが想定されていた。
これらの意味することは、夫(家長)の所有物たる妻を棄損したことへの罪として制定されたということ。
婚姻前の女子が棄損されたときは、父親(家長)の所有物を棄損したとして罪に問われた。
(それゆえに強姦罪の被害者は女性しか想定されていない)
これらの罪が成立するためには女性の激しい抵抗が必要だった。
死んでも夫以外の男性にはさせないのだという、女性の意志を示す必要だ。
そうでなければ、女性がそれを相手に許したということにされてしまっていた。
現代の概念ではあまりに無茶な要求である。
が、女性の貞操が重要だった(摘出関係のため)当時は当然だった。
そして家父長制度と男尊女卑が当然にまかり通る世の中では、劣った存在の女性は家のことをして、夫の子を産み育てることしかできないのだから、貞操を守ることは当然の義務であったのだろう。
夫以外の男性に行為を許すような女性は、ある種の「できそこない」だったのかもしれない。
けれど、当然だけれど、そう上手くはいかない。
5F反応だって今は明らかになっている。
そうなったら、女性は事実を夫に明かすだろうか。
「隠す」のではないだろうか。
もし被害がバレてしまったら、家を追い出されても文句を言えないのだ。
しかも、その時代の女性は、仕事に就くことなんて難しいなんてものじゃない。
ツイッタランドの男性に言われたことがある。
性犯罪で少し前まで男性が被害者として認められなかったのは男性差別だ。如何に男性の人権が軽視されているのか性被害の刑法でもわかる。
実に110年間もこの刑法がレイプ被害の基本だったことを男性差別と呼んでしまうのは、もう少し性犯罪について学んでみたら如何でしょうか?といったところだ。
2017年7月13日に強姦罪は廃止され、 強制性交等罪として扱われるようになり、男性も被害者に含まれるようになった。
さらに、2023年7月13日に強制性交等罪と準強制性交等罪を一本化した「不同意性交等罪」が施行された(成立要件に誤解がある男性が一部に?いるが、性被害時の5F反応が組み込まれただけであり、後出しじゃんけんなるものでは成立しない。同意を覆しての罪に持ち込むことは困難である)。
男尊女卑と月経と「女性はうそをつく」
明治政府は「富国強兵」の実現にと、女性に子どもを生ませるために女性の生殖を管理する必要があるとして、それまでは不浄視していた月経についてを、西洋医学に基づいて月経観を転換した。が、同時に月経は性別役割分業の根拠とされた。医師や教育者らは、「女性は月経があるがために心身が不安定である」とし「女性は学業や職業に向かない」と説き続けた。
「女は嘘つきである」という俗説も月経を元に語られた。
チェーザレ・ロンブローゾ(イタリアの精神科医。犯罪生物学の元となった犯罪人類学を作る)が「月経と女性と犯罪」について言及し、それが大正時代から盛んに採用されてきた。
これらはネットで少し月経と女性の犯罪について調べれば簡単に知る事ができる。
「虚偽の強姦」多発の真相
「虚偽の強姦」多発の真相…「女は嘘つき」はなぜ“定説”となったのか
1920年代になると、大正デモクラシーや猟奇犯罪の多発を背景に、犯罪学者たちが活躍するようになる。彼らはロンブローゾの主張を多用し、「女は嘘つき」説を繰り返し唱えた。なかでも特に”女は強姦されてもいないのに、されたと嘘をつく”ということを強調した。
探偵小説家として江戸川乱歩と並び称され、犯罪学者としても活躍した小酒井不木(ふぼく)は、著書『近代犯罪研究』(1925年)において、「ロンブローゾは月経中の女子は怒り易く又噓をつき易い事を認めた」として、「強姦されもしないに(ママ)強姦されたと訴えることは、よく新聞などに書かれる事実であるが、かような誣告(引用者注・事実をいつわって告げること)の目的は既に述べたように復讐のためである場合が多いが、誣告をなさしめる直接の動機は、月経中の変態心理であることが少なくない」と述べている。
小酒井と同時代に活躍した高田義一郎も、「何事に限らず、女性は一般に平気で噓をつき得る性質があって、その噓の為に不合理な点が出来て、じきに辻褄の合わない結果を来すのも、そう深く意に介しない癖がある。而して此の癖が又、強姦々々と騒ぎ立てる時にも、矢張り出て来る様である」(『変態性慾と犯罪 犯罪と人生』)と述べている。
実際に、当時の新聞はたびたび「虚偽の強姦」事件について報道しているが、「強姦」被害に遭って訴え出ても、証拠(「処女膜の損傷」「精液の付着や性病への感染」「暴行の痕跡」など)がないために「強姦」とは認められず、「虚偽」として退けられることが多かったというのが真相である。
「女は嘘つき」説は、性別役割分業が徹底された近代国家形成期に、女性特有の生理現象である月経と関連づけて語られ、長い間、性犯罪を隠蔽するために都合よく使われてきた。
今も昔も、特に月経時に嘘をつきやすくなるという女性は、おそらくほとんど存在しないだろう。もちろん、月経と嘘に因果関係があるという科学的根拠も存在しない。それにもかかわらず、「女は嘘つき」説が飛び出す背景には、日本社会が抱えるさまざまな問題が隠れているといえよう。
女性は嘘をつくとしたい男性たち
『草津』と『ツイフェミ』のせいで性被害者の証言の信ぴょう性が疑われるようになった、と主張する男性がいる。
性被害についての投稿をすると、決まってこんな人が現れる。
被害を捏造する女性がいたから、性被害は信じてもらえないのか?
果たしてそうだろうか?
女性が性被害を申告したときに、まず信じることをしていた社会なんて、一時でもあっただろうか?
わたしはそんな時代には生きたことが無い。
つまりはここ30年以上前から、そんな実態はない。
むしろ、わたしが性被害者になった15年前ですら、性被害に遭ったことを誰に話しても、第一声が被害を認める言葉であったり、それによる苦痛を認めるものであったりすることなんて、無かった。
丁度良く、大事となった『草津』という事例を持ち出し、自分たちがしてきたことを無かったことにして、さらに「女性は嘘をつく」ということが「やはり」という事実だったのだと鬼の首を取ったように喜んでいるその男性たちに辟易する。
あなたたちが性被害についてを肯定していた過去なんてものを捏造しないで頂きたい。
事実かどうかわからないことが、《性被害者》を『二次加害』して良い免罪符にもならない。
被害をSNSに書き込んだことがあなたの生活になにか影響を与えましたか。
なぜ茶化すようなことを「わざわざ」言う必要がありますか。
性被害について、ひとりの女性が話すと、多くの女性が「実は私も……」と話し出します。
男性にとってはSNSでそれらを見ていると「こんなに被害者がいるわけがない」とでも感じるのでしょうか。
でも、実際のところ、一生の間に一度も性暴力に遭わない女性の方が少ないとすら言えます。
だから、連鎖するように「私も、私も」とたくさんの被害の告白がはじまります。
「それまで聞いたことはなかったし、周囲の人も話してなどいないのに、なぜ?」と思いますか。
それは、言い出せる『社会』ではなかったから「言えなかった」だけです。
セクハラが出来なくなったことで「生き難くなった」という男性がいます。
でも、セクハラが普通にあった時代の女性は「生き難かった」ことすら言えませんでした。
昨今、性犯罪についての報道が増えたように思いますが、性犯罪を報道することすら、日本社会はしようとしていなかったから、今までは報道されていなかっただけです。
『草津』に学べ!
日本社会において《性被害者》の置かれた現状があまりに悪いものであったから『草津』の件は起きてしまったとわたしは考える。
この件で学ぶべきなのは、女性やフェミニストたちより、いや、女性やフェミニストも当然学ぶべきだが、男性、そして社会こそ学ぶべきではないのか。
社会が性暴力/性犯罪を軽視してきた結果としての『草津』であったのではないだろうか。
性被害者に対するバッシングや二次加害が当然に在る社会ではなかったら『草津』の件は起きなかったではないか。
「性暴力/性犯罪を軽視していない」と口にした次の瞬間に『でも冤罪は』と言い出す人は、性暴力/性犯罪を軽視しているのだ。
ただし。
わたしは、草津の町長を性加害者だと責め立てて、草津という町にレッテルを貼る行為をした支援団体等は、草津の町に、そして町長に直接『謝罪』すべきだと思う。間違った行いをキチンと謝れもしないなんて、如何なものか。