狂った幸福に帰りたい衝動と闘う日々に
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トラウマ疾患は日本の福祉から見捨てられている。
『PTSD』『複雑性PTSD』『解離性障害』は、生活が困難に陥るにもかかわらず、精神障害での年金の対象にならない。
その治療として最も重要な治療である『心理療法』は保険が効かない(保険適用にという流れができつつあるが、そもそもトラウマにアプローチできる心理士が少ない)。
自費となれば自立支援の適用内でもない。
日本の精神科医療は総じて遅れているが、『心的外傷』については非常に遅れている。
日本には、トラウマを治療可能な医師、心理士が少ない。
そして、治療を望むとき、患者自身が自力でその医師や心理士を探さなければならない。
情報をくれる公的機関は、どこにも無い。
民間の相談機関にも専門に診られるところをと聞いても紹介できるところは無い。
症状が重ければ重いほど、福祉にも医療にも救われなくなる。
この現実に打ちのめされる。
あの頃のような無鉄砲さが欲しい。
簡単に死を選ぼうとできた。
自殺企図できた。
自傷できた。
物を壊せた。
絶望は身近にあった。
今は、大切なものがありすぎて、できない。
容易に絶望できない。
諦めが悪くなった。
おかげで泣き喚いている。
発狂しそうになりながら衝動を抑える毎日。
死にたくないじゃない、死ねない。
大切なものがあるなんて、どんなにも幸福だろうに。
だけれども、無ければこんなに苦しくもないのだろう。
欲しかった。手に入って心底嬉しいものだった。本当に心の底から嬉しい。
でも、これらさえ無ければ、簡単に死ねたのにと思ってしまう。
それでも、それらのない人生は絶対に嫌だとも思う。
なら、どんなに苦しもうが仕方ない。
助けてくれなんて、戯言か。
きっと、あの部屋に戻れば、私は全てから解放されて、異常な空間で幸福に壊れていくだろうことを、いつまでも夢見ている。
あの日、逃げ出して本当に正解だったのか、わからない。
逃げ出したとて、助けすらないのなら、あの場で狂った幸福に壊され尽くされてしまった方が良かったのかと思ってしまう。思っては否定する。
逃げ出したから、手に入った、こんなにも大切なものを知らないで終わっても、本当に後悔しないのか?
手に入れた後の私は、否と答える。
なら、これで良かったじゃあないか。頷き難い。
あの日の私が知らないものを手に入らなかったと嘆くことはできないのだから。
疲れた。疲れた。疲れたよ。
それでも死ねない。終われやしない。
あまりにも疲れたから、あの部屋に帰りたい。
あの部屋で壊され尽くされる幸福を、心の底から感謝して受けたい。
わたしはあらから15年以上、精神科には通っていたのに、トラウマの再演という言葉さえ、そこから得ることも無かった。
無意味に過ごしてきたようで戦慄する。
15年を無駄にしたような気がする。足踏みしていた、させられていたと感じる。
誰なら助けてくれるのか。
助けて下さいと叫ぶことに、疲れた。
助けてもらおうとするのが間違いか?
夜を活動時間にしなければならない理由が、ただ単に「夜の時間が好きだから」以外にもある。
自傷行為のために残虐AVを漁ること。
自分のものを探すため、ガチのレイプ動画を漁ること。
どちらも「閲覧注意」のものだ。
日中、家族が起きている時間にはしたくないから、するなら夜しかない。
やめたいよ。けど、どちらもやめられない。
辛いよ。すごく辛い。辛くてたまらない。
ああ、馬鹿だなあ。
けど、本当に辛いのか、わたしはわからない。
わたしにあるのは「怒り」ばかり。
怒りがあまりに強くて、そんな自分が嫌で、すべてに怒りを向ける自分の醜悪さに嫌気がさして、終わらせたくなってしまう。
その衝動を抑えるのが大変で、それを「ツライ」と表してみる。
だってきっと辛いはずで。いろんなことが「痛い」はずで。でもなんだかもうよくわからない。
ただ「怒り」が爆発しかねないことが、「怒り」に支配された自分がどうなってしまうのかが怖くて怖くて、本当に怖くて、とにかく「怖い」から。
ようやく、もしかしたら治療を得られるかもしれない。
でも、無理かもしれない。福祉の許可が出なかったら、また振出しに戻る。
期待し過ぎたら、もし「ダメでした」と言われたときに、わたしはどうなってしまうだろうかと怖い。
また一から治療先を探そうとなれるだろうか。
半年間、発狂しそうになりながらどうにかここまで漕ぎつけて、ダメだったらどうしよう。
怖い。怖い。怖い……。
わたしのこの境遇は、自己責任なの?
被害に遭ったから底辺に落ちてきた。
トラウマに塗れ、ままならない生活。
そこに最低限の文化的なクオリティがあるのか。
治療がないことで、ここに、底辺に居るしかない。
そして、底辺だからと、治療は無い。選べない。
そうしたら、底辺からの脱出も無い。
誰を憎めばいい?
わたしが悪いの?
殺されておかなかった、わたしが悪いの?
そんな風にすら思うんだ。
『サバイバー』が救われない社会が抱える損失
わたしの現状をいろいろ考えてみたのだけれども。
わたしが自費で心理療法を受けるためには、世帯収入が30万円くらいないと無理だ。
家賃とか光熱費とか食費とか雑費、日用品、他にも万が一のときのために予備費と、少しでも貯蓄しとかないと大物の電化製品が壊れたときとかに困る。
そして医療費と交通費。ここがすごくかかる。
今の障害年金2級と母の年金の他に、高卒の初任給より多く稼がないとならない。
そんなに稼げるならたぶん障害年金はなくなるし、そうなるともっと稼がなきゃならなくなる。
しかも、そこまでの収入があると、今、住んでいる団地には収入制限に引っかかるから出ていくことになる。そうしたら、家賃は倍増じゃ済まない。
治療先の相談をしに市役所の福祉課に相談に行くと、時々、帰りには途端に涙がぶわーって溢れて、しゃくりあげながら、お金がほしい。お金がほしい。お金がほしい……ってなる。
ボロボロ涙がこぼれて、惨めで。
私のせいじゃないことで働けなくてお金がなくて、治療が必要でもお金がないから受けられなし、けど治療を受けないままには働けもしない。
理不尽だ。福祉の制度にはものすごい穴がある。ザルだ。
被虐待児さんとか、いじめを受けたとか、性被害者さん、他の犯罪被害者さん、トラウマを抱えて働けなくて貧困で治療を受けられなくて、たとえば結婚もしなくて夫の稼ぎにも頼れないとか、男性ならそんな選択肢もないわけで。
そんな人を救う福祉は無い。
トラウマ疾患によって働くこともできない人がいる社会的損失。
虐待を受けた子供たちが大人になって上手く社会でやっていけない社会の損失。
そんな人が増えれば税金は、福祉に余計にかかるのだ。
自己責任と言うにはあまりに酷な環境にあって、なのに社会から責められ排除される。
そして的確な治療もない。
私にお金や体力が心身の健康あったら、その社会的損失を研究してデータにまとめたい。
そうすれば、性犯罪や虐待によって、その個人だけでなく如何に社会が大きな損をしているかを知ることが出来て、社会にとって他人事じゃなくなる。
国の税収が減っていて、更に税金を余計に使っているなんて国も放置しないだろうから。
でも私にはできない。お金がない。体力がない。心身の健康がない。
誰ならこの研究をしてくれますか。
治療方法の研究も大切。だけど福祉の制度には大きな穴がある。
精神障害の中で『PTSD』や『解離性障害』は障害年金を受けるに値しないとされている。
こんなにも生活が困難な疾患であるのに。
これは日本の精神科医療が遅れているから。
とりわけ『トラウマ疾患』に対することに遅れがある。
それ故に「救われない人」がたくさんいる。
たくさんのサバイバーがいる。
そして、この社会的損失を見逃しているのはあまりに勿体ないことに、気づかないのはどうしてですか?
被虐待児、性被害や犯罪被害等のトラウマを抱えた人たち『サバイバー』が救われないことの社会的損失を、研究してくれる人は日本にはいないのですか。
国の税収が減り、福祉への税金の投入が増える。
その損失はものすごく大きい。
トラウマ疾患の患者が福祉制度から零れ落ちているこの現状は、自己責任ですか。
トラウマ疾患には、その疾患にさせた加害者の存在がある。
被害者になったことすらが「自己責任」ですか。
虐待されたことも。性犯罪の被害者になったことも。
その先の人生でトラウマ疾患の『PTSD』『複雑性PTSD』『解離性障害』を患って生活が困難な大人であることは「努力不足」ですか。
誰か答えて。
教えて。
わたしは『わがまま』を言っているの?
『贅沢』を望んでいるの?
生きるために必要な最低限なことを望んですらそう言われるとき、その言葉は「お前なんて死んでも構わない」なんだ。
※この記事は2024年2月21日にnoteに投稿した「トラウマ疾患による社会的損失~狂った幸福に帰りたい衝動と闘う日々に~」を加筆修正したものです。
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