「ひとつの箱を守りたい」女性専用車両について

性暴力を許さない

女性専用車両は『女性への性差別』と『性暴力を軽視している社会』の象徴

女性専用車両を擁護すれば叩かれる社会

女性専用車両は、女性に男性から性暴力被害が多く発生している状況を重く見た鉄道会社が導入したもので、一部の男性から「男性への性差別の象徴だ」と言われている。

「男性も乗れることを周知して形骸化すべき実質的な憲法違反である」
「女性を優遇している悪しきもの」
「男性は女性と同じ料金を払っているのに、一両に乗ることをしない協力を強いられている。同じサービスを受けられないなんて不平等」
「無関係で性加害もしない無辜の男性である自分がその協力をしなければならない理由はない」

主にこんな主張なのだけれども、それを主張するのは「インセル」と呼ばれる女性を敵視した男性たちや「ミグタウ(MGTOW/ Men Going Their Own Way)」という自身の道を行く男達として女性とも社会との決別を決めたとする男性たちだ。どちらも女性蔑視でミソジニーに生きている人たちだ。

けれども、女性専用車両は、女のわがままで出来たのではなく、男性から女性への性加害の多さと深刻さが作ったものです。
無辜の男性が女性専用車両に乗らない協力をする(性差別的扱いを受ける)ハメになったのは、その性加害を行う犯罪者のせいです。
けれど、インセルとミグタウはどうしても『女からの性差別』を受けているという結論にしたがる。
この男性たちの主張の最後には「女性が犯罪者に性加害を受けることなんてどうでもいい。自身の不当な差別さえ無くなれば良い」になる。
つまりは『男性差別だ』として、女性たちを『痴漢に遭う環境に戻したい』ようです。

ちなみに以下が女性専用車両の歴史です。

日本の女性専用車両 - Wikipedia

話し合いで理解を求めようと何度か挑んでは落ち込むを繰り返しましたが、相互理解は無理なのかもしれないと、思いはじめました……(インセルとミグタウの女性蔑視はすさまじい)。

女性専用車両について、今回は話したい。
わたしの命を繋げてくれた箱だから。

女性専用車両は男性差別で不当なものか?

ある日、ハココ、つぶやきました。

男性ってさ、女性専用車両をどうしてそんなに目の敵にするのかな?
一箱に乗れないことに目くじら立てて、ちっさ!って思う
それに、女性のわがままで、女性に性差別されたわけでもなく、男性の性加害者のせいで、全ての男性が被った被害ですよね?
なんで女が叩かれなあかんの?

Twitter(現X)ハココ@WLTOSより

この投稿に、インセルとミグタウの男性からバッシングともいえるような、そしてセカンドレイプと言える発言をガンガン浴びせられました。

性暴力の深刻さを知っている性被害者のわたしは、男性が女性からの性暴力被害を受けないための、女性恐怖の男性が安心できる男性専用車両にも大賛成である。
女性に対する性差別的扱いの側面をその車両が持っているなんて小さなことは全く気にならない。
一部の男性が安心して乗れる男性専用の車両を一箱、ぜひ導入してほしい。

これには女性蔑視の男性から不思議な答えを頂ける。

差別に差別で返すなんて俺はしたくない。性差別は辛いから。差別に対して差別を増やす解決なんてダメだ

性暴力を軽視するなと、性暴力の深刻さを知らないと俺に言ってくるくせに、性差別を深刻さ知らないお前が自分は性差別を軽視していないと言ってくるのは矛盾だろ

常に性差別に晒されている女性に大真面目にそう言ってくるから、どうしたものかと思う(釈迦に説法?なんか違う……)。

自衛しろ!と言われるも、自衛すると怒られる

実は、
男性から見ても、性加害する男性と性加害しない男性は見分けがつかない。

けれど、こう発言した男性はその発言の意味をよくわかっていないようだった。

見分けがつかない。
つまり、自衛するなら全男性に対してしなければならないはずだ。

男性から見ても性加害するかしないかの見分けがつかないことは責められるべきことではない。
つまりは女性が自衛すべき相手の見分けもつかないので、すべての男性に対して自衛全開でも怒られるいわれもないはず……。

わたしはそう思うのだけれども、男性にとって性犯罪者予備軍扱いが、余程屈辱的らしい。

自分は無関係!と声高に唱えるのも、そこから来るのかもしえない。

けれど、もし、
その男性たちが「無関係なんだから巻き込まれたくない……」ではなくて、電車内でもいつでも常に「性暴力を許さない!」という空気を作り出してくれていたら。

そんな風にないものねだりをしてみたりする。

性暴力を軽視しているこの日本社会で、それはなかなか望めない。

女性が男性からの性加害を受けやすいことは、性差別である

インセルやミグタウの男性たちは「女性専用車両に乗らない協力を強いられているのは性差別」であり、それも「女からの加害行為」としたいらしい。

女性蔑視の男性たちはどうしても「その扱いを強いたのが性加害をした男性であるとは絶対に認めない」のはどうしてだろうか。

それは原因の一つにすぎない。現に性差別の加害行為をしているのは女だ!

何も言い返せないほどの強固な女性蔑視だと感じた。
男性にとって「女性専用車両に乗れない」という性差別は一体どれほどの苦痛なのだろう?(ハココはよくわからん)

わたしはどうにも納得できない。

「差別行為であってもときに不当に当たらないこともある」とわたしは思う。

たとえば、
「優先席があることは健常者差別」だろうか?
「妊婦や体調不良と思しき人、
お年寄りに席を譲る行為は不当」に感じるだろうか?

それには否と言う人がほとんどだ。

それと同じように、女性専用車両を考えられないのはどうしてなのか?

これへの返答は「男性には一生メリットが無いから」だった。

冤罪被害も減るんじゃない?と言ったところで、冤罪を作る女が悪いのに俺が差別されるいわれはない、とのこと。

痴漢冤罪は本当に多いのか?

ちなみに、痴漢冤罪は、
本物の痴漢が目撃者だと名乗り出て別人を犯人に仕立て上げる。
実際に痴漢被害は起きていての誤認逮捕。

であるのがほとんど。
虚偽親告での痴漢冤罪の本当に少数だ(私は2件しか知らない)。

以下はウィキペディアの痴漢冤罪についてのページ。

痴漢冤罪 - Wikipedia

さらに、痴漢と聞けば開口一番「この映画を知ってますか?」となりウンザリする『それでもボクはやってない』についても。

それでもボクはやってない - Wikipedia

監督は、本作品を作るに当たり痴漢冤罪事件の取材から始まり「痴漢えん罪被害者救済ネットワーク」に関わっていた法学者や全国痴漢冤罪弁護団会議に出席したことを明かしている[12]。この「痴漢えん罪被害者救済ネットワーク」とは、印刷会社員男性が女子大生から痴漢被害を訴えられ捕まり、東京都迷惑防止条例の5万円の罰金刑が2002年9月に確定したが、男は無罪を主張して2002年に代表者として設立した団体である。男は裁判で106名の弁護団を結成するなどし、無罪を訴えた。しかしそのビラ街頭配布の帰りに車内で向かい側の寝ていた女性のスカートの中を携帯電話で盗撮し、逮捕され、懲役6月執行猶予4年の有罪判決がとなっている[13][14][15]。このほか、本作品のモデルのうち一人である電車内で痴漢をしたとして懲役1年6月の有罪判決が確定し、刑務所で服役した男性(46)は、2015年に東京地裁に15年前の事件について再審請求を行った。その記者会見では周防監督も同席し、再審請求のための新しい証拠となる「再現ビデオ」を制作したことを明かし、本人の無実を信じていることを語った[16]。

ウィキペディア「それでもボクはやってない」モデルとなった事件より

2022年度東京都の痴漢被害調査では女性45.4%、男性8.6%が被害を経験しており、場所は電車内が8割を占め、7割が被害届をしていない状況にある[17]。こういった状況を背景に、任意団体の「Stop痴漢バッジプロジェクト」では、都内高校入学から痴漢被害に苦しんだ女子高生が再犯者を捕まえたが執行猶予がついた経験を元に、缶バッジで泣き寝入りしないことを主張する活動をしている。しかし自意識過剰なブスなどの誹謗中傷が寄せられた。これらの発言者は痴漢=冤罪との視点を持っているが、2007年の本作公開の影響が強いと活動者から指摘されている[18]。

ウィキペディア「それでもボクはやってない」社会的影響より

この映画によって、痴漢と言えば『冤罪』というイメージを一部の?男性の中に強く形成されたのは間違いない。


反論に反論を繰り返していたけれども、それを崩すことは無理なほどに強固な女性蔑視で、反論するのも馬鹿馬鹿しくなった。

生意気な女には鉄槌を。
そんな女性への支配欲と加害欲だと感じたから。

女性専用車両は廃止すべきだの理由は男性に対する差別だからである。
が、廃止されてしまったら、性暴力に悩む女性たちは、その困難を増すことになる。

当然なことだが、人はみな「犯罪に遭わないで暮らすことが保証されている」べきで、「犯罪に遭わない=人権侵害をされないで生きる権利」がある。
性暴力を放置することは重大な女性の人権侵害に当たる
が、インセルもミグタウもそんなことはどうでもいいのだ。

通りで話が通じないはずだった。

これを女性専用車両廃止論者の男性は、性暴力は自分に無関係として、自身の性差別のみの解決を求めている。
自身への人権侵害のみを是正すべきであるとして、自分の利益のみを重要だとする自己中心的な考え方をして、それは正当な主張だと憚らない。

利己的な思考。社会の一員という自覚が欠けているとも取れる言動に思う。

わたしがこの女性専用車両廃止論者に反論し返す行為は、ある種の自傷行為で、ミソジニーに痛めつけられるべきという心理からだと思う。
加害欲、支配欲に立ち向かい、抗って、それを打ち砕いて見せたい。
トラウマ反応だ。トラウマの再演でもあるのかもしれない。

性被害のトラウマって他人から見たら意味不明なものもあるのです。

ときに聞きたいのだけれども。

性差別として騒ぐ男性、性暴力の被害者に大袈裟だと嘲る男性、女性が全ての男性に警戒することが不愉快な男性は、
「自宅のドアや窓に鍵を掛けますか?」
性被害者は人口の数%なのに全ての男性に警戒するなんてと嘲笑する男性、大袈裟だと言う男性、自分は性加害をしないのに!と怒る男性は、
自宅に鍵を掛ける行為に対して、
「自分は強盗犯・窃盗犯・空き巣犯・無断侵入の犯罪者じゃない!」
「無関係の人間を犯罪者予備軍扱いするな!」
と言いますか?

窃盗犯も強盗犯も空き巣犯も無断で侵入する犯罪者も人口数%です。
それに備える人を馬鹿だ大袈裟だと言いますか?
そうしている人がいたら不愉快だと感じますか?

たとえば、小学校ではこう教えられる。

「いじめを見て見ぬふりをすることはいじめに加担する行為です」
「傍観することもいじめです」
そうやって、いじめはダメだと教えるとき、傍観者の加害性を教える。
関係ないから無関係って姿勢でいることも、加害行為に該当する。

小学生にそう教える中で、多くの(一部の?)成人男性は、「性暴力(性犯罪)に対して、関係ないことを関係ないから関係ないと言って何が悪い」と開き直る。

なにをどう言ってみても、バカ女と蔑む始末。

性暴力に対して無関係の姿勢を貫く男性は「性暴力の補完勢力である」のに、いじめはダメとどの口で言うのだろう?

加害者だけに駄目だと言えば解決すると本気で思っているのだろうか?

「いじめの傍観者には加害性がある」と説くことを小学生にしているのに、「性暴力に対して自分は無関係だという姿勢を貫く」成人男性の態度は、矛盾ではないのか?

大人として、子供たちにそれこそが正しい姿だと言いたいのだろうか?

はじめてTwitterで女性専用車両の話をしたときのこと

わたしが性被害後に治療での精神科への通院が電車でしかできなくて、そのときに男性恐怖でも、女性専用車両であれば乗れたことに、感謝する思いと共に「このままその箱をひとつ、そんな女性のためにください。どうか協力をお願いします」そう投稿をしたとき。

「お前の性被害は自分には関係ない」
「すべての性犯罪に自分は関係ない」
「お前は性差別という加害を男性にしている」
「謝れば許されることでもない。感謝でチャラにもならない」
「同じ賃料を払っていながら、自分たちには乗れない箱が一両あるなんて不平等だ」
「自分は関係ないから、性差別の加害者に、誰かからの性被害者だからといって配慮はしない」
「自分たちは、お前たちに感謝という形で、性被害という盾で、性差別という加害行為で、殴られているんだ」

そう返って来た。

女性専用車両を良く思わない男性は多いことはわかる。

YouTubeに投稿されている、女性専用車両に男性である自分が乗り込む動画を投稿している人物もいる。

そのときに女性から注意されること、駅員に協力を求められること、その不当な扱いへの抗議としての動画なのだろう。

でも、わたしはあの箱が一つあったことで命を救われたから、そんな女性はこの先にも絶対に現れてしまうから、その箱を守りたい、そう思う。

でも、そのときはさすがにぺこんと凹みそうだった。

わたしの境遇とか男性に性加害を受けたことのトラウマとか、本当に何にも感じないで、わたしを性差別の加害者だって言い切るのだな、と。

ちなみに。

「性被害で男性恐怖ならタクシー乗れ。代金は加害者に払わせろ」
たとえ裁判で勝っても、無理なこと提案される。
被害届を出してもいない、出せる状況にも無かったのだと言えば。
「被害届も出していないなら、加害事実は無いということだ」
そう言われる。

うおう!ってなった。

被害届は出せなかったし(2024年3月に15年のときを経て受理されました!)、裁判で勝ったとしても、通院のタクシー代も治療費も、生活費ももらえるものじゃない。賄えるだけもらえもしない。
(ちなみに、男性恐怖で女性専用車両にしか乗れないことは彼らからしたら一般的なことではないという認識だった。女性からしたら想像に難くない)

それが可能と思っているなら、たぶん犯罪被害者全般が抱える困難を何にも知らないんだろうなと思う。
性被害だけではなく、犯罪被害そのものを軽視しているんだろう。
性被害の軽視と言うより、社会に不満が募りすぎている。

現実が上手くいかないことからの不満。
炎上させることも、誹謗中傷も、馬鹿にして嘲笑したり、現実ではできない大柄な態度と口調も、一種の娯楽なんだろう。

みんな生意気な女を叩いてぶっ潰そう!
現実では不可能な見下しのし放題、馬鹿にし放題、嘲り放題。
誰かを叩いてストレス発散しなきゃならないような社会なのだ。
それが女性に相手をされないことの不満であれば、まだかわいい方。
けれども、蔑視しでしかなく、見下して、嘲るだけの、劣った女の価値は「穴」のみであり、女はモノであるべきという考えであるなら、おぞましい。

端的に、最悪だなって思う。

女からしか産まれられなかった、産んで頂かないと存在できなかったとか。
女を支配することで承認欲求を満たしたり、女に性欲処理して頂いている分際で。
無能扱いしてる女を黙らせられもしないじゃあないか。

そうやって、わたしの方も挑発に乗ってしまいたくもなる。

けれども、そうしたら意味がない。

「女性差別」と「女性蔑視」と「性暴力を軽視する社会の象徴」の女性専用車両

どうしたって、女性専用車両は必要だ。
とりわけ、この性被害を軽視する日本社会では。


海外では、被害者が逃げなければいけない、避難する形の(シェルターの様な)女性専用車両を批判する意見もある。

「男性が性差別を受けている象徴だ」と主張する男性もいたが、違うのだ。

女性が性加害を受けやすく、性暴力が野放しになっているかのような警察や司法と社会の性暴力の軽視が、集約されたものが「女性専用車両」なのだ。
女性差別の象徴として、あの「女性専用車両」は存在している。

女性専用車両に対する記事の紹介

女性専用車両について、女性蔑視の男性には詭弁だと嘲笑された記事を二つ紹介する。

女性専用車両は「男性に対する不当な差別」「男性蔑視」なのか? そうではないと言える理由(堀田 義太郎) @gendai_biz
「女性専用車両は男性差別ではないか」といった疑問を見聞きすることがあります。性差別を扱った授業でもこの種の疑問が出されることはありますし、SNSでも見かけることがあります。

「女性専用車両」は、男性差別か?
「痴漢は犯罪です」という駅のポスター、私は最初に見たとき、「はぁ?」と思ってしまいました。「強盗は犯罪です」というポスターはないでしょう。なぜそれと同じような犯罪を「犯罪です」とわざわざ強調し、啓発…

最後に。男尊女卑社会について

男性の置かれた立場は、現代ではときにかなり理不尽にあることも考えていたし、女性たちがあまりに傲慢に権利を主張することが目に余ると思っていたこともある。

けれど、それは「わたしが無意識に《男尊女卑》に適応していたから」でしかなかった。この社会は、気づいてしまったら呼吸もままならなくなるほどの『男尊女卑社会』だ。

男性が叫ぶ「女尊」は、いままで無意識に履いていた下駄、社会的に優遇されていた事柄が、ほんの少し減った。目の高さがその分だけ低くなって、自分たちの偉さが目立たなくなった。それだけのことなのに、それが「女尊」に見えてしまうなんて、どれほどまでに「男尊女卑」に「依存」しているかという話だ。

社会はなにかと男性有利に作られている。
それが女性の社会進出で、女性にも使いやすく改良されつつある。
そうして、女性の権利が拡大する一方に見えるのだと思う。

そこに、日本の社会の不況、賃金が上がらない、生活に余裕がない。
そんな中、活躍する女性が目につけば、女性のせいで居場所がなくなったと思い込んでも仕方ないだろうと思う。

でもとりあえず、電車の車両をひとつ。
ひとつの箱を、女性専用車両に、ひとつでも良いから。

女性専用車両は、痴漢対策だけの意味としてあるわけではない、はずだ。
そもそも、痴漢対策に、たったの一両の車両を女性用にしたところで解決にならないのは誰にだってわかる。

けれども、そのひとつの箱の中には女性しかいない。
その安心によって、電車に乗る事ができる女性がいる。
だから、女性専用車両がある。必要なのだ。

「他の車両に乗る女性を、生け贄に差し出すことをどうも思わないのか?」

そのように聞いてきた男性もいる。

その女性は、女性専用ではなくても乗る事ができる女性だから、そこに乗った、それだけだ。
それとも、男女ともに乗る車両では、女性は痴漢に遭うという前提が男性にもあるのか?

痴漢は、摘発されていないだけで、毎日どこかで発生している。
言い切れてしまうほどに。

たった一度、電車内で痴漢に遭った、女子中学生、女子高校生が電車に乗れなくなって学校に行けなくなったり。
そんな彼女たちが女性専用車両なら、乗る事ができるかもしれない。
仕事に行くときに、過去の性被害のせいで電車が怖い。
そんな女性は女性専用車両がひとつあるだけで、通勤への恐怖心、負担が減る。

男女差別と言われるのなら、女性に加害されて女性恐怖の男性にも対応可能な男性専用車両があればいいのではないか?とも思う。
そんな男性だっていると思う。
女性からの痴漢冤罪も男性専用車両でなら起きない。

それには、
「明日からその車両があるのか?」
なんて言ってくる男性もいる。

わたしの性被害が「痴漢ではない」と知れば「それは女性専用車両の許容する被害ではない」と言い出した。
「精神科に言って治療すべき案件だから精神科に行け」と。
いや、その精神科に行くのに必要なんだけど……。となれば、タクシーで行け!
金銭的に無理とかそういうのはわがままの範疇らしい。
社会の役にも立っていないくせに、権利だけ主張するな!と。

男性にとっては、痴漢対策としての側面しかないのだと、そのときにようやく気づいた。

女性だけの空間をつくるということが目的であるのに、痴漢対策でしかないのだ。たったひとつの箱に意味はない!と言ってのける理由もそれなら納得だ。

なんの役にも立たない、痴漢対策の箱だと思われているのだ。違う。

性被害等によって、男性と密閉空間にいることが耐えられない女性に、至近距離に耐えられない女性のための、女性だけの車両である、わたしはそう考えている。
事実、そのための役にしか立たないのは、誰もが理解できるだろう。
だって、他の箱に乗っている女性に対しては痴漢可能な状態のままにあるのだから。

わたしは、性暴力なんてどうしても許せない。
その後遺症によって、人生は破壊される。様々に。
その後の人生があまりに困難であるのに、訴えることのハードルも、刑罰も、社会の認識も、あまりに軽い。

きっと誰もが、自分にとっての許せないことに、必死になっている。
理解はしている。
わたしの性被害の訴えなんて、誰かに、関係のないひとにとっては、どうでのいいことでしかないことくらい。
でも、まさか、その訴えが性差別者!と言われるとは考えてもいなかった。

わたしは、男性に性被害を受けたからと言って、男性全員を憎んだりしてない。
男性の友人だっている。
なんなら、女性と話すより男性と話す方のノリが好きなのだ。

被害者の盾は卑怯だ。
被害者の盾であれこれ要求して、傲慢だ。
そんなのは、性差別して良い理由なんかにならない。
被害を免罪符にするな!
自分が世界一不幸であると勘違いしたバカ女。

ごめんね、いろんなことに謝りたくなる。

わたしよりツライ性被害者がゴロゴロしているから、自分が世界一不幸なんて、言えるわけがない。
男女問わずに、わたしより絶対的にツライひとが、現在、いまこの瞬間が苦しくてたまらないひとがいるから。

わたしは、たまたま感情が麻痺しているから、二次加害も割と平気なだけで、大抵のことに傷つきもしないようにできているだけで。

殺されておかなかったわたしが悪いって、いまも本気で思うくらいに、認識もオカシイ。

幸せだと言うことにも語弊があって、性的な加害を受けた人生でも幸せに生きられるなんて、誤解されたくないから、マシになったというだけのこと。

たとえば、憎しみで生きることの愚かさをうたうなら、憎しみに駆られつつも、自分の大切を大切にして生きることができて、加害に屈せず許さず忘れず生きる意義ってものも出る気がしてきたり。
そんなときには、憎しみで生きて何が悪い?って思うし、それを理由にしても生きて、ひとを愛してやるって思う。

それとも、って。

憎しみと絶望に世界を呪詛してしねば良いのだろうか?

電車に乗れないことで、わたしは生活が本当に立ち行かなくなってしまうことの、そこから救ってもらえた、ひとつの箱への感謝と、この先の協力のお願いをしたい。

それは、悪なのか?

頭を下げて、感謝して、頭を常に下げ続けるのが、被害者の人生なのか?

女性の皆さんに、もし読んでいる方がいたらお伝えしたい。

女性専用車両というものは、不本意であっても、男性がそこに乗らない協力していることで成り立っているのが事実で、乗らない選択をしてくれているのだから、当然に在るものではないのです。

痴漢もそうだし、男性からの性被害によって女性たちの立場が辛い状況にあることへの配慮として作られたけれども、男性の善意での協力で、それに賛成してくれたこと、そのことがなかったら、叶わない願いだった。
不本意でも、それが事実である以上、そのことに感謝はしても、当然と言う態度はこの先のそのひとつの箱すら、排除したい男性の怒りを買い続ける。
当然と従わせるより、感謝の方がよほど平和的に占領できる。

感謝されないから嫌!なんて、全く善意ではないかもしれない。
それでも協力はしてくれる。それすらなくなるなら、本当に電車に男性恐怖で乗れないひとの居場所がなくなり、そのひとは電車に乗ることが不可能になる。

そのひとのためなら、わたしは感謝くらいしてでも、欲しい箱なのだ。

わたしはその協力が無かったら、治療すら出来ないで、いまはなかった。
命を繋いでくれたのは、女性専用車両を考案するに至る訴えをした先人がいたからで、それに協力をしてくれた男性がいて、わたしはどちらもあったから命が繋がって、すべてに感謝しないことはできない。
協力が当然にあったら、素晴らしい。
でも義務ではないから、協力が得られないことは当然に起こりうる。
それが起きないのは、協力してくれているから。
不満を言っても協力はしてくれている。

不満があるなら、いまのわたしはそれを言われても構わない。
協力してもらえたことが本当にありがたいと思っているから。

この先も、このままの社会であるなら、必要であることは変わりなく、廃止すべきなんてことに絶対に同意できない。

そもそも、性加害行為があったから、女性専用車両が作られた。確かにそう。

でもすべての男性が加害するわけではないことは事実でしかない。
だから不満に思うひとがいても、仕方ない。
彼には関係のない話で、損していると思ってしまうのだから。
事実、彼にとってはそうでしかないのだ。

わたしは、性加害されたことがあり、尊厳を踏みにじられて、現在辛いをちゃんと感じられもしないぶっ壊れた人間ですが、わたしに加害したのはわたしへの加害者だけです。他の男性を恨むことは筋違いでしかない。

中には、
感謝すらしない女のためになんで協力しなきゃならんのだ!
もう嫌だ!わがままな女共め!協力なんかしない!

なんて、いつやめるのか、考えている男性もいる。

「わからせ」をやりたいって男性もいるでしょう。
モラ旦那がいる妻さん、モラはどこに隠れているかわからないものですよね。

被害の加害者がたまたま男性であったから、男性が怖い。
すべての性の人が加害者にも被害者にもなり得る。
多くのひとは無関係、かもしれない。

女性専用者に対する不満を言う男性の主張は、無関係の男性に協力を強いているのに傲慢すぎる、というもの。
鉄道会社にも、社会にも、あんな性差別を、加害を強いている全てに、反対だそうです。加害と無関係なのに協力を強いられることへの怒りです。

本当にその通りでしかなく、そのひとは加害者じゃないし、加害もしてないのに予備軍扱いされたら、嫌なのはわかる。
やってもいないことで責められているとすら考えるのなら。

けど、女性の避難スペースなのだ。
それは、男性のすべてを加害者としたわけではない。
犯罪者予備軍から逃げる場所ではない。
犯罪者予備軍を排除したスペースではない。

女性専用車両が憎い男性たちは、自分にはそんな避難スペースが必要ないこと、恵まれていることに気づいてほしい。

凶暴な大型犬に噛まれて重傷を負ったひとは、全く関係のない小型犬にすら、絶対に加害しないような盲導犬にすら、恐怖心を抱いてしまう。

同じように、男性が悪いわけではなくて、その男性になにをされると考える訳もなくて、どうしても、怖いのだ。

そんなこと言われるのは、誰だって嫌だろう。
男性だからとかじゃない。
関係ない他人のせいで、自分が直接悪いわけでもないのに、男ってだけで避けられるとか、わたしが女ってだけで女って扱われるのが嫌なのと同じだ。

それでも譲れない。

わたしの命を繋いでれた箱のひとつの必要性を訴える。
協力をお願いし続ける。
必要なものを必要と言い続ける。
いまの日本社会では、それしか方法がない。
現在の「男尊女卑社会」で「性暴力を軽視した社会」では。

「自分の加害性を自覚しろ!」
「こっちは加害もしてないのに加害されている被害者でしかない!」
「お前は被害を盾にしてやりたい放題で加害しているんだ!」

そうだろうと思う。あなたにとってはそうでしかない。

でも、わたしはそれで救われたから、無くすわけにいかない、守りたいのだ。


※この記事は2023年12月24日にnoteに投稿した「「ひとつの箱を守りたい」女性専用車両は女性への性差別と性暴力を軽視した社会の象徴」に加筆修正したものです。

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