バッキー事件について。ネットにはない事実
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バッキービジュアルプランニングについて。被害者である「美咲天使」さんについて。
わたしはこのバッキー事件と言われる事柄のAV(内容は拷問でしかない)について個人的にずっと関心を持ってきた。理由は、わたし自身が「被害者」となることが容易に予想されるからである。
被害者女性にとってはその映像が視聴されること自体が、苦痛である可能性をもちろん考えるし想像するし、自分に置き換えるなら耐えがたいものだ。
わたし自身、自分の被害時の映像をばら撒くと脅されたことから、もう15年、その映像を探している。そうしているとガチでしかないだろう強姦時の映像と思われるものが見つかったりする。幸いなことでもなんでもなく、わたしの映像はまだ見つかっていない。わたしはもしかしたら、一生、自分のレイプ映像を探し続けることになる可能性がある。
在るか否かも不明。しかし脅迫を受けた。その呪いの言葉でわたしはずっと残虐なポルノ(ガチの性犯罪かもしれない映像)を探し、視聴(確認)することをやめられない。
実際に映像を視聴してわかったこと
わたしは、最近、バッキー事件の映像をネットで視聴した。
何個目かに見たのが「美咲天使さん」のものであり、正式な題名は「問答無用 強制子宮破壊12 精神病のゴスロリ美少女 美咲天使 19歳」である。
このAVという “てい” の拷問映像はまとめサイト等でも内容を知る事ができるが、それらはときに【閲覧注意】と警告がある。そもそも【検索してはいけないワード】とされている。
しかし、それらネットにある情報には重要な部分が欠けている。
もしかしたら、それがどれほど重大な事柄であるのかに気づいていないのかもしれない。
冒頭で彼女は自身が患う疾患ついて簡単な説明をしている。
彼女は自分は「解離性同一性障害」だと説明する。
要は多重人格である。精神薬の服用もある。
さらに重要なのは、彼女はその疾患によって仕事をやめさせられた経験もあるが、それは仕方ないことであると認識していることだ。
「解離性同一性障害」は現代のSNSにはなりたがりが溢れている。中二病をこじらせただけの人が名乗っているという誤解も広がっている。
さらに、日本人では有名なharuさんという方がいるのだが、彼(彼女というか)は、その疾患について書籍も出しているが、わたしにとってその書籍を手に取った人が「こういう疾患なんだ」と理解してくれたらどうしてくれるんだよ!?と言った感じに、非常に批判的な見解を持っている。
わたしは解離性同一性障害の当事者である。
そして、今回、美咲天使さんのことを書いているのは、わたしだけが、恐らくあのAVの撮影と称されたもので美咲天使さんが受けた拷問のことを、ちゃんと書く事ができると思っているからである。
その受けた被害の強度は、比べ物にならないほどに軽いのだが、わたしは同じ状況での強姦被害を経験した。そのせいで15年以上を非常に重度のトラウマ症状を抱えたままにいる。
これを読む人にどうかお願いしたい。
解離性同一性障害について、なりたがりさんは確かにいる。でも、それで解離性同一性障害について理解た気にはならないで欲しい。
かつて多重人格障害と呼ばれていたそれは、フィクションでの特殊能力のようなものでもなんでもない。少し前に考察系ドラマとして人気を博した『VIVANT』の主人公も「解離性同一性障害」だ。しかし、あれらはあくまでもフィクションである。わたしたちは、この疾患で生活すらが困難であるから障害として診断を受けている。
そして、この疾患についての理解をしようとする人たちが最初にしようとすることの「個人として、個々の人格を尊重すること」には注意が必要だと言う事を言いたい。
そして、一番重要なことがこれである。解離性同一性障害については、日本では本当に理解が浅く、専門家を気取ってYouTubeやインスタライブで説明をするような知名度だけが高い心理士や精神科医のその説明を鵜呑みにすることをしないで欲しい。
この疾患はその臨床の最先端をいくアメリカですら研究途中であり、解明はできていない。つまりは日本にいてYouTubeやインスタライブで説明をしている暇があるような人の臨床やら知識は、浅すぎる理解のであり、それらを尤もらしく流布することは当事者にとってはある種の害悪である。
前書きが長くなってしまったが、本題に入る。
美咲天使さんが解離性同一性障害であるという事実は重大なことである
美咲天使さんが解離性同一性障害であるという事実がなぜ重要であるのかということから説明したい。
美咲天使さんは、集団強姦がはじまる前に、眠っているかのような様子が映されている。
そして、抱きかかえられて運ばれて、起きるように促された後に、半裸の男性たちに囲まれて「何が起こると思う?」と問われたとき、その状況に戸惑っている。
これは、実際に、この状況が飲み込めていない可能性が高い。
人格交代をしたことが予測される。
視聴したことがある人なら違和感をおぼえたかもしれない。
冒頭の会話のときと、彼女がかもしだす雰囲気がまるで違う事に。
表情筋の使い方なのか、顔つきまで違って見える。口調もその声音も違う。
「状況が飲み込めない」について、それがどの程度の事かというと、
その場所がどこであるのか、
目の前にいる人物がだれなのか(撮影前に話をしていた人物を含めて)、
まったく分からない状況である。
もっというなら、今日が何月何日なのか、現在何時何分なのか、それも分からない。
わたしは、これを実際に経験したことが何度となくある。
人格交代によってその前にしていたこと、会っていた人物、会話、どれもわからない。
人を会っているときに人格交代が起きてしまえば、目の前にいる人物が誰なのかさえ、わたしにはわからなくなることがある。
この不安を説明することは難しい。
わたしはそれによって引き起こされた性被害(監禁を伴う強姦にまで発展した)を経験するまで、とりわけ不安でもなんでもなかった。
慣れていたから。日常茶飯事だったから。
でも。
気がついたら、知らない場所に居て、知らない男性に囲まれていて、集団強姦が開始され、その後何時間もの拷問を受けることになることを想像して欲しい。
おそらく、漠然とした恐怖くらいは想像可能だと思う。
実際に経験したなら、死を決意し実行することなんか容易である。
美咲天使さんはその後、拷問に次ぐ拷問を受ける中でも、しっかりとした口調で応対をする。
冷静にその場を切り抜けるための最善と思われる行動を取る。
これらは実は他の拷問AVの被害者たちには見られないことなのだ。
変な話だが、美咲天使さんが受けた拷問の強度は他の被害者に比べてとりわけ酷いものであったわけではない。どの被害者が受けた拷問も、拷問であるから酷すぎるものなのは当然である。
ただ、美咲天使さんだけが、他の被害女性とは明らかに違う反応をしている。
他の被害女性たちは、追い詰められるほどに言葉遣い等が幼いものになっていく。簡単な単語をくり返すだけになる。おそらくそれはある程度の健常の女性たちの普通である。
美咲さんは拷問が進んでも、冷静さを保ち、言葉遣いもしっかりしている。これは当事者のわたしから見て「解離の特徴」にも思える。
『解離性同一性障害』は一般的に幼少期の継続的な逆境体験が原因となって発症するものだ。
それは主に、虐待であり、中でも性虐待が大部分を占める。
美咲天使さんがなぜ解離性同一性障害を発症したのかはしらない。
しかし、あの当時に解離性同一性障害と診断されていたのが事実であるなら、珍しいしい症例でもある。
解離性同一性障害を診断するというのは、現代の医師にも難しい。この疾患に懐疑的な見解を示す医師、アレルギー反応のように嫌悪を示す医師もいる。そういう疾患である。
それは、この診断をすることが「親の虐待(とりわけ性虐待)」を疑うことに繋がるからでもあるだろう。
そして、美咲さん自身が話している内容や行動から、美咲天使さんは、親との不仲は確実だろう。
映像の中で、美咲天使さんが死を切望するところがある。
「お前には死ぬ権利はない」と断じられる。
それは、一般的な部分がある養育環境で育った人に向けて発するのとはわけが違う。
解離性同一性障害を発症する養育環境で育った人に対してのそれは、重みが違うのだ。
解離性同一性障害は、死んでしまうような事柄が起きても死ぬ事ができない子どもが「自身の心を殺す」ことによって身体の生存を図った後遺症と言い換えることもできるとわたしは考える。
そこでは、死にかけても死ぬことが許されない。死んでしまうことを禁止されている。
文章として、論理としてはおかしいのだが「死んだらもっと酷い目に遭う」が事実となるのがその場の真実である。
ある意味、自身の心を殺して生き延びたわたしたちにとって、死ぬ権利を得たこと、死ぬ自由を手に入れることは、最初の目標だとすら言えるのではないか?とわたしは大真面目に思う。
分かっている、想像もできないだろうこと。何を言ってるんだ?と疑問符が浮かぶだろうこと。
美咲天使さんが映像の中で見せた姿は、わたしの知っている、解離性同一性障害の人のそれだった。
メディア露出もしている、有名な当事者のharuさんとも違う。
自身の疾患による生活のままならなとどうにか折り合いをつけようとしている、当事者の姿だった。
現在は幾つもの解離性同一性障害の当事者を名乗りYouTubeチャンネルを運営する人がいる。
彼ら彼女らの真偽は不明だ。が、わたしが出会った当事者と、彼ら彼女らはまた違う。
自己承認欲求についてではなく。
これはわたしの勝手な見解だが、ああして人格ごとに自己紹介をしたり、その特徴を述べたりまとめたり、それらを主治医はどう考えているのだろう?と疑問である。
素人意見ではあるが、治療の妨げになるとしか思えないからである。
美咲天使さんは、あのとき、本当に恐怖だっただろう。
なにもわからずに、状況をまったく理解できずに、突然にはじまった拷問に耐えなければならなかった。
美咲天使さんが解離性同一性障害であったとして、それを公表することは、解離性同一性障害の人の人権というものを考えること、また自己決定について考えることになってしまうだろう。
さらには、自己の行動に対する責任の所在を議論することにもなるだろう。
そう、議論してほしいのだ。
ただ「尊重すべきではない」という答えは間違いであることが大前提である。
重大な事件が起きたときに、被告が「自分は解離性同一性障害である」と述べて罪に対する責任を免れようとすることには、わたしは反対の立場にある。この身体が行った罪を償えるのはこの身体でしかない。
しかし被害者が解離性同一性障害であることを加害者に説明していた事実は、もっと重要視して欲しい。
わたしたちはそれを話したうえで出会った人から性暴力を受けることが珍しくない。
そして、その事実を警察は理解してはくれない。
わたしは、多大な努力をして15年前の事件を2つ、被害届の受理に持ち込んだ。2年前の1件も。
けれど、その他にあった「解離性同一性障害」であることから何度となく強姦被害を受けたことは、被害として届ける事ができないのである。
美咲天使さんの受けた拷問については、まとめサイトで十分に内容は把握できる。
しかし、そこにはいつも、冒頭で彼女が自身の疾患を説明していることが抜け落ちている。
多量の飲酒の強要とその後の救護の流れだけでも「殺人未遂」と言えるとわたしは感じた。
精神薬を服用している人は、その薬の種類によってはアルコールの摂取が禁止されていることさえある。
なぜここにいるのかすら分からずに拷問の時間を耐えることを余儀なくされたその恐怖は、わたしにとってあまりにも自分事だった。
だから、この事実を公表したかった。美咲天使さんが受けた被害のことを、正しく理解してほしかった。もちろん、これはわたしの勝手な思いである。
そう思ったのは、この記事を見つけたこともきっかけである。
上記は記事の一部のスクショである。これらは、美咲天使さんが「解離性同一性障害」であるとしたなら、不自然だとはならなくなる事柄でもあるのだ。
そして、下記はの記事は美咲天使さんの拷問についての詳細がまとめられているものだ。
出所した加害者のインタビュー記事は、本当に身勝手が過ぎる。
時代が違うからの理解の違いなんてものは言い訳でしかない。
自分がなぜ逮捕され、罰せられ、妻から拒絶されたのかを理解できないのなら、彼には治療が必要だ。
メディアが報じたバッキー事件を信じ込んでいるから拒絶されたのではない。
人として最低のことをしていたから、それを合法だとしていたこと。
あの映像を見た人物の感想でも読んでみたらいい。
同性の男性たちからですら批判されている。好意的意見を述べる人を断罪する勢いで。
だから、罪として罰せられ、家族からも拒絶された。
そして、わたしは、知ってしまった事実を、公表したかった。
美咲天使さんはどんなに絶望しただろうか。
その恐怖はどれほどのものだっただろうか。
それがわかってしまうわたしは、この事実を公表したかった。
これはわたしの勝手な想像でしかなくて、憶測の域を越えない。
でも「生きている」とされている美咲天使さんが、安心や安全を手に入れて、社会で普通の生活をしているのは、あんなにも酷い拷問の時間を過ごして、それ以前に「解離性同一性障害」を患っていたという事実を考えると、本当に「生きている」として……。
「社会的入院」をしている可能性や、それに準ずる何らかの「保護的な環境(社会から隔離された環境」にいる可能性を、わたしは想像してしまった。
もちろん事実は分からない。美咲さん自身が公に何かを発表することが無ければずっとわからない。
でも、わたしは「解離性同一性障害」の患者として、性被害者として、この美咲天使さんの疾患のことを知ってほしかった。