ハココ

詩のようなもの

詩「一杯のスープ」

この詩は、わたしのために声を上げてくれた友人へ捧げます。わたしが病理化ラベリングを受けたとき、あなたは抗議してくれました。そのために、あなたは攻撃を受けました。わたしは、あなたの勇気を忘れません。そして、あなたが受けた理不尽を、許しません。...
論考

日本の謝罪文化の問題点―「ごめんね」「いいよ」が壊すもの

日本特有の「謝罪の儀式」—形だけの「ごめんね」と強制される「いいよ」。幼少期から刷り込まれるこの構造が、なぜ被害者を苦しめ、正義を歪めるのか。心的外傷理論から日本社会の問題を考察します。
論考

当事者の語りが暴力になるとき

当事者の語りが、なぜ別の当事者を傷つけるのか。臨床語彙を用いた病理化ラベリング、検証不能性の構造、影響力の格差がもたらす暴力を分析。語る者と聞く者、それぞれに求められる倫理とは。
障害者を取り巻くあれこれ

社会福祉に投資すること

精神障害者家族の生産性低下による経済損失は年間2兆円超。福祉の不足こそが損失を生む。PTSD・C-PTSDへの支援不足、イエ制度の限界、当事者の視点から日本の社会福祉の構造的問題を問う。福祉投資は未来への投資である。
論考

バトラー理論への批判的考察

ジュディス・バトラーの構築主義は身体的現実を無化する危険を孕む。「セックスはジェンダーによって構築される」という理論が、欧米で若者に不可逆的医療介入をもたらした現実。言語の力の過剰な強調が制度的暴力の分析を空洞化させる問題を検証。
論考

草稿:「“やめて”が快楽語と化した国――日本の性文化における拒否の言語とその喪失」

日本では「やめて」「いや」が性行為中の典型的セリフとして定着し、拒否が機能しない。この文化が性的同意を無効化する構造を当事者の体験から検証。真の性的快感とは安心・信頼・主体性の中にある。支配構造からの解放を問う。
論考

草稿:「命令と快楽」—語られなかった身体性の記録

【内容に関する注意】この記事は性暴力、トラウマ、性的内容について詳細に扱います。性被害時の性的快感を「自然な反応」とする臨床の語りが、当事者の自己解釈の自由を奪う。観測不可能な体験への意味づけは誰のものか。16年間の沈黙を破り、語られなかった身体性と主体性の回復を当事者が記録する。
エッセイ・コラム・雑記

支援が無かった4ヶ月

障害支援区分4、生活保護受給中のDID当事者に4ヶ月間支援が途絶えた。「助けて」に「ごめんなさい」と返す行政。福祉課長の「法的措置を取れば」という言葉。支援しやすい人から助かる構造。当事者が記録した福祉制度の現実。
性暴力を許さない

バッキー事件について

バッキー事件の被害者が解離性同一性障害であった事実は、ほとんど語られていない。人格交代により状況が理解できないまま拷問を受けた恐怖。同じ疾患を持つ当事者が、この事実の重大性と解離性障害への理解を訴える。
詩のようなもの

詩「わたしは白猫」

わたしは白猫わたしは涙に色があると知っているわたしの涙は墨のように真っ黒だときに粘度を帯びていて頬を裂きつつ流れ落ちるけれど誰かの涙の色は判らない涙は確かに見えているのに色は判らない涙としてしか見えないそれでもわたしのものより絶対的に奇麗な...