はじめに
『ハココの森』の住人の『ハココ』と申します。
ハココは現在、何者でもありません。
社会でのわたしを表す言葉は、37歳、無職(職歴・資格なし)、女、デブ、精神障害者、であり、底辺と呼ばれる者です。病名は「PTSD」や「解離性障害」そして「発達障害グレーゾーン」なんてやつ。
けれど「精神障害者」というなんとも言えない良くない響きの前では、病名なんて些末なことかもしれません。
もうすぐこの世に生を受けて40年になるのに、何一つ社会的な成果をあげていない、駄目な人間です。同居の母がいるおかげで、人間らしい生活でいられます。結婚もせず、生産性がないと言われても仕方ない存在。
わたしは、中学2年生のときのある事件で心を病んでしまったとかいう、よくまあそこらにたくさん転がっている話を体験することになり、それから精神科への入退院を繰り返し、就労不可の烙印と共に、自立すらせずここまで来てしまった「終わってる」人間でしょう。
ワナビにすらなれなかった、人生に希望を持ったことのなかった人間です。
恩師と、わずかな間お世話になった医師に、「書くことをやめないでほしい」「こうして考えることがあなたの宝物になる」と言われたこと、そもそも考えることが好きで、書くことが好きで、どんなときでもやめることができないこのふたつのこと、わたしにはこれしかありません。
そして、わたしが経験したことは、少しばかり特殊だったかもしれなくて、良くも悪くもそうだった。そうして得た確かな「答え」はまだないにしろ、手に入れたものは「変わっている自分」と「その自分が割と好き」であること。
きっと、わたしは恵まれています。福祉の制度にも助けられ、埋没することなくいられるていること。実際、経済的には余裕もなく、健康も危ういながら、それでもいま現在、幸せだと思えています。
そう考えるに至るまでの道のりは非常に険しかったような、いまとなってはどうでもいいような。
ここで、本格的にブログをはじめることにしたきっかけは『夜と霧』を読んだことでした。フランクル医師の手記にあまりにも共感をしたから。そして、ネットに感想として「生きる意味ををなくしたときに読んでほしい」とあるし、考え方に感銘を受けたと言うひとが多いことになんだか少しイラッとしてしまう自分がいたこと。
確かにとても勇気づけられる内容で、生きる意味を見出せる可能性はあるのだけれど、ある意味冷静に読めるひとたちなら、誰もがそう思う内容だったのだけれども。
でも果たしてこの『夜と霧』を、本当に生きる意味がないと嘆くときに、読む事などできるだろうか?
少なくともわたしにはそんな力はなかった。もしかしたら、わたしがものすごく弱いからかもしれない。
でも、なんだかよく知らない名著なんかを勧められたとて、読む気にすらなれないし、興味も持てない。読書自体ができない。
わたしは読書が大好きな少女だったのに、だ。
ちなみに、現在のわたしは『夜と霧』に、なんて当たり前のことが描かれているのだろうと一瞬かなり不遜なことを思ってしまったので、少し反省をしまして。
でも、わたしが生まれる前からその当たり前はあったことに、わたしが考えてて得た現在の「答えに近いもの」が正解に近かったことを知って、もしかしたら、わたしの考えたこと、わたしがそう考えるに至った経緯、どのようにそう考えていったか、それらは誰かにとって有益な情報かもしれないと勘違いしてしまったのです。
そして、勢いでサーバーを借りました。ブログを作るぞ!と意気込みました。
でも、まあ、やるのは勝手ですので、きっかけになった恥ずかしい勘違いは、まあ、置いておきます。
ライフワークを持つことにしようと決めたのは、良い傾向であると思うことにします。
で、そのもしかしたら誰かに有益かもしれないの、その誰かとは、いままさに苦しんでいるひと、そのひとを周囲で見ている人たち。どちらも苦しく、ツライ気持ちで、イライラしているだろう、そんな方。ツライ気持ちでかつてのハココとハココの家族のような方々へ。
正しい知識を頭で理解したって、どちらも納得して受け入れることなどできないし、寛大にそれを享受しようなんて無理な話でしかありません。
なのに、それを、正しい知識さえあればなんでもないかのように言う、一般社会もあったりわけで。
差別はいけないとか、障害があっても幸せに生きられる、生き生きと暮らせる社会にとか、それは関わりのない人だから言える奇麗事でしかない。
関わることになった健常者たちが差別をしない方が難しいだろうことも事実で、でもそれをエライヒトは言わない。知らないことは言えないだろうし、知っていても邪魔になることは言いたくない。
壮絶な現実も語らない。事件になってはじめて発覚していくのが現状。
それでも、ハココとハココの家族は、現在それなりに穏やかに暮らしています。
崩壊した家族だったり、それが再生したかしないかはともかく、他愛もない会話をし笑い合える存在に戻ったこと。その家族がどんな思いを抱えていたか、怖くて聞くことはできないけれど、心の底からの感謝と、謝罪とを、勝手にここに記したりします。
ここに、あなたが欲しい言葉を書けるかどうかは分かりません。でも、わたしの言葉をまやかしだと思うなら、それは仕方ないこと。少女のハココもそう言うと分かりきっているのです。
それでも、わたしははじめて、誰かに読んでもらうためのブログをやってみようと思った。
理由は浅ましいかもしれない。自分の経験が役に立てば、なんて純粋にそれだけではないから。
正直、いつか収益にできたらなんて思っているし、お金のためにどうこうするひと、と言われるのかもしれない。
けれど、就労経験も資格もないバイトすらしたことのない、体力もない40間近の女に稼ぐあてなんてそうそうない。
現実、お金がなければ生活はできない。奇麗事で生きてゆける世界は、無い。
奇麗事はもともと嫌いだった。奇麗事しか言わないひとが信用できなかった。
到底、ハココという生物は素晴らしい人間ではない。
そんなハココが書く、この『ハココの森』で、いつかハココなりの人生の「答え」を見つけたいと思うのです。
2023年7月12日 ハココ
2023年9月21日 改 ハココ